ぼくは自分の名前や人付き合いに関して、おかしなクセがあります。
それは、フラットな目線じゃないと気持ち悪いと感じてしまうクセ。
敬語もちょっと気持ち悪いのでタメ口がいい。
…まあ、まったくフラットな人間関係がだんだん減っているのが悩みのタネでもあります。
目次
名字で呼ばれるのが、好きじゃない
ぼくは名字で呼ばれるのがすごく苦手に育ってしまいました。これは正直、大弱点と言っても良い。
あんまり好きじゃない漢字が含まれてるのと、家庭環境的にちょっとしこりがあるもんで。
日本の社会ってなんで名字で呼ぶのが当たり前なんでしょうかね。
「さん」付けで呼ばれるのがキライ
「さん」付けで呼ばれるのも、ものすごくキライ。
これもかなりの欠点です。
「名字+さん」、で呼ばれるのが大抵だから、大抵は内心呼ばれるたびにイライラしてます。
そんなことでイライラしてしまう自分にまたイライラして、なだめながら生きています。
上下関係、苦手過ぎ問題。
なぜそんなことが起こっているのか。
まずぼくの器が小さいこと。これは大前提であります。わかってる。
そして、「強くなりたい」って幼い頃から、思いすぎたのかもしれません。
上から目線されるのはイヤだ
わりとヘラヘラするのが得意だったらしくて、おべっかとか建前とか、それこそお世辞とか、
どちらかというと上手みたいです。
いつもへりくだりまくって頭を下げまくっていたら、ナメられてしまったりして。
社会に出てから結構ありましたね。まあ顔やら声やら、ちょっと幼いのかもしれません。
下から目線されるもイヤ
いわゆる「営業」に来られる立場になると、やたらおべっかを使われて、
それが心にもないことが透けて見えて、すごく疲れてしまった。
ぼくなんかよりはるかに力量も実績もある営業職の人が、
数字のためにこんな若造におべっか使ってくる。
…疲れる。
あと、ぼくを過大評価してくれる人が、めっちゃ下からくるパターンもね。
建前の会話のキャッチボールは、もううんざり。
呼び捨て、名前の呼び捨てが一番ラク、助かる
なにがイヤって、疲れてる自分に嫌気がさすのがイヤ。
ようするに勝手にストレスかかえて自滅してしまうんです。
本当に、数少ない呼び捨ての人は助かります。
それも名前の呼び捨ては、もはや救われます。
「くん」付けはセーフかなあ、くらい。
呼び捨てや君付けしてくれるのは、
本当にぼくなんかの性格に合わせてくれる人たちと、
ケタ違いの実力の持ち主で、こっちが噛み付いてもビクともしないような人たち。
ありがたいです。
それでも強くなりたい、だからフラットじゃないのからそっと離れてみることにした
そういうわけで、自分の未熟さが大部分で、名字呼びと「さん付け」の人とはコミュニケーションが下手くそになってしまっています。
けど、それでいいともちょっと思っています。
いまはほとんどの人付き合いをぶった切ってしまいました。
そのおかげで、名字呼び、さん付けの人間はほとんど周りにいなくなりました。
タメ口でじゃれ合うような、気軽にどつきあえるのが何人かいればいい。
後は上を目指して雲の上の人らに噛み付いていく。
こんな風に育ったのは、結局は自分の人付き合いのヘタさとか視野の狭さが原因です。
それは重々承知した上で、完璧に直せないクセだとも思っています。
もうしょうがない、個性と呼ぶことにします。
希薄な関係の他人からは逃げられるけど、自分からは逃げられない。
だからぼくは、ぼくを名前で呼ぶ人にしか本音を言わないしわりと言えないです。
まあたまに、寂しいですけどね。
その道を選んでしまったから仕方ない。
どうしても対応が必要なら、だましだましやるしかない。
なるべく自分をだまさないように自分を変化させるように努力はします。ムリそうならムリしない。
強さに満足したら、少しは器も大きくなって対応が変わるかもしれない。
いまはまだ途上、道半ば。だからこのまま生きます。
「強くなりたい。」